これから約1時間、みなさんと一緒に先生の教える歓喜の題目。歓喜の題目とは何か。御本尊様とは何か。
自分とは何か。なんで功徳があるのか。どうして病気が治るのか。長い長い人生を幸せに。人生の勝利のために。
常に楽しくなくちゃいけない。常楽我浄(じょうらくがじょう)っていうんですから。常に楽しく我(われ)浄(きよ)し。
起きてよし、寝てよし、死んでよし。凡夫の最高の命は。そうゆう命になることがご本尊を拝むことなんです。
題目と歓喜の人生を送るために、大聖人様がどうおっしゃったか、どう体験をくみ取るべきか、どう拝んでいったらいいのか。せっかく参りましたので、しばらくみなさんと一緒に私も勉強致しますのでよろしくお願い致します。
まず、南無妙法蓮華経とは何か?宇宙の中に溶け込んでいる命です。太陽の中にもあるんです。雨の中にもあります。
空気の中にもあります。その机の中にもあります。石でも草でも木でも何でも。…
南無妙法蓮華経を表に出すとこちらの御本尊。
紙の中から南無妙法蓮華経を表に出すと紙の御本尊。
みなさん一軒一軒のお家の御本尊様は紙です。でも南無妙法蓮華経が出てるから人を救うわけです。
私たちの御本尊は自分の中にある南無妙法蓮華経を出してもらうために御本尊を拝んでる。
この中に溶け込んでいる南無妙法蓮華経という働きがあります。仏の根性を仏性といいます。
「仏性」一遍言ってみてください。「仏性」
お金がなくてピーピーするのは貧乏性っていうんです。
「あなた本当にのんきねえ。」「のんき」という根性なんです。
これは色も形もないんです。働きなんです。
「あの人はせっかちな人だ」せっかちという働きなんです。
南無妙法蓮華経というのは働きなんです。
色も形もなくて一番近いところにある。
一番近いところにあって仏の命があるんです。
それを「雖近而不見(すいごんにふけん)」 (法華経・妙法蓮華経如来寿量品第十六(自我偈))
近くても見えない。
ヒステリーも中だから。やきもちも中だから。働くんです。
見えない。色も形もなくて中で働く。恨むとか、困ったなあっていうのも中です。
嬉しいのも中です。でも色も形もありません。感じてるんです。それを如是性(にょぜしょう)。
如是相(にょぜそう)は見える。如是性(にょぜしょう)は見えない。
見える如是相(にょぜそう)と見えない如是性(にょぜしょう)と一つになって如是体(にょぜたい)ていうんです。
(法華経・妙法蓮華経方便品第二)
この中にある南無妙法蓮華経が信心しないと宝の持ち腐れになります。
外の御本尊を拝んで中の南無妙法蓮華経が出るんです。
見える御本尊を拝んで見えない南無妙法蓮華経は中にあるんです。これが勤行です。
菊の花は外です。外の菊を中で楽しむ。花見っていうんです。
瀬戸内海は外。富士山も外。「きれいだなあ」って中です。
見える富士山を見えない中で楽しむ。外の景色を中で楽しむ。観光旅行。
お月様は空です、外です。「ああ、いい月だな」外の空の月を中で楽しむ。月見っていうんです。
外の御本尊を中で楽しむと勤行。楽しんでいるかどうかが問題ですよ。
この中にある南無妙法蓮華経が三因仏性(さんいんぶっしょう)。
もともと赤ちゃんが泣いたり笑ったりするのは、あるやつが出てくるんですよ。
中にある「泣く」という働きがもともと赤ちゃんに備わっているように、
私たちの中にもともと南無妙法蓮華経があるわけですね。
「ああ、私の中にもともとあるんだなあ」と気がつくことを悟り。
「私と同じ命があなたの中にもあるんですよ。私はあなたの中にいるんですよ」
っていうのが
我復於彼中(がぶおひちゅう)
法華経・妙法蓮華経如来寿量品第十六(自我偈)
一人ひとりの中にいるよ。同じ命があるよ。それを出してあげますよ。
私はあなたの中で法を説くんですよ。
為説無上法(いせつむじょうほう)
法華経・妙法蓮華経如来寿量品第十六(自我偈)
為に無上の法を説く。
いかなる病(やまい)障(さは)りをなすべきや
(経王殿御返事:1124)
と思ったら病気が治る。
さいわいを万里の外よりあつむべし
(十字御書:1492)
だから商売が繁盛する。
中の南無妙法蓮華経がどれだけ働くかですね。
100%働くか、80%か、50%か、20%しか働かないかは信心が強いか弱いかによります。